【美空ひばり− 沖縄 未来に紡ぐ歌 −】
- トピック
戦後 80 年...
焦土と化した日本を映画と歌で励ました美空ひばり...
復興と繁栄の象徴...
人々に希望を与えた昭和の大スター
美空ひばりの「平和」への想いをたどるメモリアルコンサートが
この春激戦の地・沖縄で開催されました。
彼女が初めて沖縄を訪れたのは、終戦から11年がたった昭和31年、
当時、美空ひばりは19歳でした。
公演が行われたのは沖縄屈指の映画館『国映館』で
1日3回のステージで7日間でおよそ5万人が詰めかけました。
美空ひばりの映画では
焦土からの復興を目指す人々を映画と歌で励まし、
生きる勇気を与えた美空ひばりは
沖縄の人たちにとっても夢と希望でした。
生涯、沖縄で歌ったのは5回。
沖縄が返還された昭和47年には
「返ってくる琉球」と題したコーナーを設け
琉球民謡を踊り、返還を祝福しました。
公演の合間には
多くの命が失われた「ひめゆりの塔」や
「沖縄師範健児の塔」を訪れ
手を合わせました。
美空ひばりは、生まれ故郷の横浜で大空襲を体験。
父は徴兵で海軍に入隊。
こうしたこともあり
沖縄には、特別な思いを抱いていました。
沖縄戦の犠牲者は日米合わせておよそ20万人、
沖縄県民全体では12万2千人以上、
県民の4人に1人が亡くなったといわれていることも、
美空ひばりは知っていました...
この時の思いを手記にこう記しています。
「いまさらのように、戦争の恐ろしさ、悲しさをしみじみと感じました」
「このどうくつの中で親を思い、子を案じ、
兄弟やおともだちのことをどんなにか心残りにして死んでいったのであろう」
「同胞のご冥福を再び心から祈ります」
「戦争はもう決して起こさないでくださいと、世界の人たちに呼びかけたい気持ちです」
<就労継続支援 たどり舎>